いつから俺はパトロンになったんだ

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いつから俺はパトロンになったんだ

大学院留学中の僕と東京藝大のぶっとび彼女

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芸術は必要なものなのか

昔、彼女が友人に「美術って世の中に絶対に必要なものではないよね」と言われ憤慨したそうです。彼女の気持ちも分かりますが、その友人の気持ちもよく分かります。

 

その友人は美術には関心のない方だったそうですが、確かに僕もモナリザくらいは知ってるとしても、真珠の耳飾りの少女に使われた青がどれだけ高価だったかなんてどうでもいいし、ゴヤがどこの毛を描いても問題ないし、モネが光をどんな風に描いても、ゴッホがどこを切り落としたってピカソの絵ぐらいは見たことあります。それでも生きることには苦労しませんし、知らずとも幸せに生きていけるはずです。美術館も博物館も自分になくてはならないものだと思ったことはないですし、そういった点では美術が必要ないと考えている人がいても不思議ではないでしょう。

 

そうして日常生活とは正反対なものとして芸術を見るのに対し、よく聞く音楽もお気に入りのマグカップの絵柄も全てはひとつのアートであって、常に人は芸術に囲まれながら生きていると考えれば、人が彩りのある生活を営むうえで芸術とはなくてはならないものです。また、これまでの歴史を振り返ると、どこぞの洞窟の壁画はコミュニケーションをとるために当時の人々にとって重要な役割を持っていて、後に絵は文字となり文明を作ったわけで、権威の象徴としての役割も担った芸術は文化をかたちづくるものとして大きな影響を持ってきたのです。

 

僕はよく、この問いをスポーツに置き換えてよく考えます。大谷のストレートがどれだけ速くても、本田がミランでくすぶっていても、Bリーグが開幕しても、どうでもいいと思う人の人生には何ら影響しないわけで、知らずとも生きていけるでしょう。ですが、スポーツ産業の影響は大きく、1964年の東京オリンピックに向けたインフラ整備による好景気は戦後の日本の成長の象徴のひとつとなりましたし、2020年のオリンピックも日本経済に何かしらの大きな恩恵または弊害をもたらすわけです。

 

そうしたアスリートスポーツの経済的な側面だけでなく「するスポーツ」は間違いなく日常に根付いていて、草野球、ジョギングはもちろん、早朝のおじいさんおばあさんのラジオ体操、ひとつ遠い駅まで歩いて向かうことだってエクササイズとしてひとつのスポーツだと考えることができます。高校野球や武道を典型的な例として、スポーツが「体育」という教育手段として用いられてきたこと、これからさらに少子高齢化が進む日本では高齢者のコミュニティー構築としてスポーツの役割もますます期待されていることも考慮すれば、文化をつくるものとして芸術とスポーツは遠いようで非常に近いものだと思います。

 

古代オリンピックが体育と芸術の祭典だったこともそう思う理由のひとつだったりするのですが、そうなると僕は芸術を生きるうえで必要なものだと言い切れません。本来は、必要であって必要でない、needsというよりもwantsに応える存在ではないでしょうか。つまり「生きる」という端的な活動にはスポーツも芸術も必要ないですが、それ以上の何かを求める場合にそれらは必ずその人のそばにあると考えています。

 

しかしこの豊かな時代における需要はneedsよりもwantsがほとんどであって、そうなれば結果として芸術は必要なものでしょう。と僕は思います。また、芸術もスポーツも暮らしを豊かにしてくれるものであるということは間違いありません。

 

ちなみに、僕はこんなことを考えるほどにはスポーツにもアートにも関心があり、誰かに喧嘩を売るためにこの記事を書いているわけではありませんので気分を悪くされた方には申し訳なく思います。

 

もっと思うことはたくさんありますが、浅はかな文章が続いてしまうだけなのでこのへんで。

 

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